思い出の「 振袖 」美術館その2

我が子を想う親の気持ちは万国共通。我が子の幸せを願い着物を準備する。特に、振袖にはその気持ちが現れているのではないでしょうか。我が子の振り袖姿を見た瞬間、今までの苦労がすべて洗い流されてゆく…

森靖子様より(平成4年)

この振袖を店主さんに誂えた数日後、娘は交通事故で意識不明の重体になりました。 頭蓋骨が割れ母親の私から言うのも変ですが、見られない顔になっていました。お医者様からは「あきらめて下さい」と言われていました。でもせっかく娘のために作った振袖だから棺に入れてやろうと仕立てを頼みました。奇跡的に40日後手足が動きだしましたが、それでもお医者様は「右半身不随でしょう」と言われたものです。でも、お陰様で大した後遺症もなく元気に過ごし、今では二人の孫も出来ました。

店主からの一言
この話を改めてお聞きして、お母さんのわが子を思う気持ち、優しさで、胸が熱くなりました。せっかくこの世にご縁があったのですから、いつまでもお幸せでありますように…

小西みや子様より(昭和48年)

この振袖は私が成人の時に作って貰ったものです。母親をはじめ二人の姉と共に4人で出掛けて選んだのですが、結局成人式には振袖を着る事が出来ず洋服で出席しました。それでも、十数回着た覚えがあります。そして最後には娘にも着せましたので、とっても良かったと思っています。

店主からの一言
よく着られて良かったですね。菊と桐の大胆な柄の振袖です。え(エ)霞の中には強い生命力を表す蔓を配してあります。

川森千代様より(昭和50年頃)

この振袖は私が娘の時に買って貰った振袖です。とっても気に入っている振袖だったので、娘にも着せようと思っていたのですが、本人はこれを着たくないと言いましたので新しく買い求めました。でも、大学の卒業式には「着ようかと」言い出しましたので楽しみにしています。

店主からの一言
手抜きのない本加工の綺麗な振袖です。裏地も良いものが使われていますので30年近くたった今でも胴裏は白いままです。

水上美津子様より(昭和51年)

この振袖は私の成人式に向けて母が買ってくれたものですが、ちょうど私達の成人式から振袖を着てはいけないという事になって振袖を着ることが出来ませんでした。私の成人式を大層楽しみにしていた母は相当ショックを受けていました。娘の私から見ても可哀想だったことをはっきりと覚えています。

店主からの一言
浅緑色に雪輪取りのとっても素敵な振袖です。26年前とは言えないほどです。又機会がありましたら、是非お母様のぬくもりのあるこの振袖をお着せになったらいかがでしょうか。

川向紀子様より(平成9年)

この振袖は店主さんのお勧めで、小紋から柄を取り別染めして頂いたものです。
ある時、親戚の結婚式が金沢でありました。その後従姉妹と兼六園の桜が舞う中を散策していましたら数人の方から「見せて下さい」と呼び止められました。

店主からの一言
着用後、お伺いした時に嬉しそうにお話頂いた事をはっきりと覚えています。
お客様に喜んで頂いた時には、本当に私達も嬉しくなります。

大西京子様より 振袖(大正初期)

私の祖母は生まれる(明治42年)前に父と別れ、母も生まれてから半年で急死いたしました。ですから祖母は両親ではなく、おじいちゃん、おばあちゃんに育ててもらって、苦労してこの家を守ってきました。この振袖は祖母が小さいときに作ってもらったようです。現在私達がこうやって幸せに過ごせるのも、祖母をはじめ、ご先祖のご苦労のお陰と思っています。この振袖は我が家の守り神として大事にしまってきました。

店主からの一言
このキモノには大変珍しい葵系統の紋(残念ながら正式な紋名は不明です)が染め抜きされ、
また重ねには、三ツ葵の紋が刺繍されています。相当な家柄だったことがうかがえます。

石橋千香子様より(昭和46年)

この着物は振袖の袖を留めて訪問着にしました。
私が結婚する前に主人のお父さんから「成人式に着てください」と頂いたものです。その次の年に私は嫁ぎ先の自宅にて仏前結婚式を挙げましたが、その時のお色直しにも着る事が出来ました。その秋、実家の姉が嫁ぐ時に義母が「結婚した者が振袖ではおかしいでしょう」と袖丈を直してくれました。結婚した後も義父母は羽織やアンサンブル等を買って下さり、とても良い想い出です。

店主からの一言
とってもかわいい訪問着(振袖)ですねめずらしいバラの花です。

大井広子様より(昭和8年頃)

私の母は旅順(りょじゅん)で生まれ、看護婦として、その地に働いていました。大変着物好きな母で、この振袖も大連(たいれん)の三越にて自分で買ったそうです。また仕立ても自分でしたそうです。今ではその母も他界して、大切な想い出になりました。

店主からの一言
お父様とお母様は旅順で知り合われてご結婚されたそうですね。その当時の日本人の方が頑張られたお陰で、現代でも大連は日本人にとって大変住み易い地になっているそうです。

北信子様より(昭和4年頃)

この赤い振袖は私がお嫁に来る時に着て来たものです。白い振袖は嫁ぎ先に入った後、着替えて上に羽織ったものです。私は5人兄弟の真ん中でただ一人の女の子として生まれました。
父親の決めた縁談で17歳の時に嫁いだのですが、両親も私もまだ結婚することがいやで仕方がありませんでした。父は私に「私の顔を立てて、3日だけでいいから行って来てくれ」と頼んだものです。その父も過労で私の嫁ぐ前に54歳で亡くなりました。母は父が亡くなったので、この話は「無かった事にしてください」と頼みに行きましたが、断られ、嫁ぐ事になりました。
嫁ぐ日、泣きながらも母は未亡人と言う理由で私を送る事を許されませんでした。昔はそんな理由で大変苦労しましたが、今は良い家族に囲まれて幸せです。

店主からの一言
北様には他にも色々と話を聞かせて頂きましたが、目頭が熱くなるのを感じました。お話の最後に「ご苦労されたのですね。現代の私達は幸せですね」 と申し上げたところ「ええ、極楽以上ですね」と言われた言葉が印象的でした。

島田美和子様より(昭和43年頃)

この振袖は父が一人で京都の親戚へ行って買って来てくれました。佐久間良子さんが着た物と同じ柄だそうで大変気に入っている着物でした。 私は高瀬神社で式のみを挙げ、家で披露宴をしましたが、その時お色直しにも着ました。その時の着付けも父がしてくれました。その後「止(留)める」という意味で同じく父親に黒留袖を着せて貰いました。

店主からの一言
長い年月で白地の部分が生成り色になっていますが、今でも素晴らしい振袖です。これが白地だったらさぞかし扇面が浮き出て見えて綺麗だったことと思います。
又、お父様が着付けをして下さったとは!なんとお幸せなんでしょう!