着物には昔より魂が宿ると言われています。それが故に、着れなくなった着物でも何か後ろ髪を引かれる思いがして手放す事が出来ないものです。
着る物の「着物」ではなく、心の想い出として「キモノ」。
先人の素晴らしい感性、着物に対する思いを感じて頂ければ幸いです。
思い出の「着物」美術館
岡本順子様より 附下げ(昭和45年)
私が19歳、この附下げを買う時、母に「自分で買うように」と言われ、仕方なく給料とボーナスをはたいて買った附下げです。それでも茶道、お稽古事と、何かにつけてよく着た思い出深い大切な1枚です。シミがたくさんあったのですが、きれいにとってもらい、赤い牡丹の上に金をふってもらって、今でも着られるようにしてもらいました。
店主からの一言
19歳のお若いときにご自分で買われて大変だったと思いますが、それ故に思い出深く、大切に思っておられる事と思います。修正加工してまだまだ着られるようになりました。大切に着て下さい。
加藤和子様より 黒紋羽織(昭和45年頃)
この紋羽織は母の色羽織を私が嫁ぐ時に、黒に染め変えて、箪笥の中に入れてくれた大切な羽織です。小さい頃から何故か母の箪笥を開けては、この羽織が気に掛かって仕方がありませんでした。母はそれを察してか、私に譲ってくれた唯一の着物です。
店主からの一言
お母さんのぬくもりが伝わる、大きな橘柄の羽織です。素敵な橘柄ですが、元の色はどんな色だったのでしょうか。さぞ素敵なお色だったのでしょうね。
高島さち子様より 附下げ(昭和45年頃)
私は学生時代和裁を習っていましたので、着物はすべて自分で縫って嫁いできました。その中で、この着物だけは、絞りが入っているせいか裾とじが上手く出来ず、何度も縫い直しをした思い出深い着物です。
店主からの一言
ご自分で着物を縫ってこられたとは素敵ですね。本当は自分で着やすいように、縫えたら一番良いのでしょうが、現代ではそのようなことがなくなりました。
砂岡広美様より 小袖小紋(昭和22年頃)
終戦直後、母は持ってる着物を食料に替えてしまったそうです。この着物1枚を残して。よほど気に入っていたのでしょう。母の33歳の宮参りの写真を見ますと、色柄が新鮮で映えて見えます。母の大切な形見の1枚です。
店主からの一言
レンガ色とグレーがマッチしたとてもきれいなきものです。お母さんの忘れ形見。大切になさって下さい。
渋谷清枝様より お召(昭和22年頃)
このお召しは終戦直後の物資がないときに京都から叔母の家に売りに来たものを母が私のために無理をしてわけてもらった、私にとっては一番大切な1枚です。実家にはお召しを買う余裕もなかったので米と交換したようです。ただ、その当時米は供出しなければいけなかったので、ご近所の手前、母は夜中に米を一斗ずつ背負って毎日何キロもの距離を叔母の家へ通い詰めました。私の手持ちの着物で一番想い出深い着物です。
店主からの一言
素晴らしいお母さんですね。昔は街灯もなく恐ろしかったでしょうね。それにしても嫁ぐ我が子のために、3キロもの道程を毎日米を背負って、大変だった事と思います。
小橋信子様より(昭和13年頃)
この「のれん」は私がお嫁に来る時に着て来た振袖の下着だったものです。綺麗でもったいないと思いましたので、呉服屋さんに相談して上部部分を青にぼかし染めをして貰い、のれんに仕立て直し致しました。
店主からの一言
現代、下着をつけるのは留袖のみになりました。その下着でさえ比翼仕立てに簡略化されています。ちなみに比翼とは「比翼の鳥」と言う胴が一つで頭が二つの架空の鳥の名から来ている言葉で二人で協力するという意味があります。それにしても見えないところにこれだけの染めがしてあるとは、感動致しました。
新山久子様より 本場大島紬(昭和40年頃)
この大島は私の父に買って貰ったものです。37年前、私の父が62歳の時 急に「私も体力が落ちたので」と言って、生きしょわけ(生きている内に形見分けをすること) をしてくれました。その後父は亡くなってしまいました。私は父がそんなに早く亡くなると思っていませんでしたので、何にもして上げることが出来ませんでした。
店主からの一言
今では珍しい横双織(横糸のみで柄を織り上げたもの)の本場大島です。父様をお若くしてなくされ、残念でございました。
斉藤恭子様より 袋帯(昭和43年頃)
私の祖母は京都の西陣で暮らしていました。まわりには機屋さんがたくさんありました。帯を織るときには若干余分に糸を準備するそうで、その糸を集めて帯を織って貰ったそうです。今ではあまり京都へ行くことも少なくなりましたが、生まれた京都の懐かしい想い出です。
店主からの一言
一般市場には流れてこない袋帯。京都生まれの特権ですね。素敵な京都の想い出を大切になさって下さい。
川上美智恵様より 大島紬(昭和55年頃)
20年前、長男にお嫁さんが来て下さるときに、お嫁さんに「私が着付けをして上げられたら」と、着付け教室に通い始めました。その時に先生に勧められて買った大島です。その当時、富山で試験があると、家族が代わる代わる忙しい中、富山まで送り迎えをしてくれました。 また、年に1度開かれる授与式のレセプションの、着付けコンテストにも準優勝に選ばれて、その当時本当に人生バラ色に感じた、想い出があります。
店主からの一言
優しいご主人様やご長男に囲まれて、本当によかったですね。この想い出の大島を大切になさって又機会がありましたらお嫁さんにお譲りになられてはいかがでしょうか。
中野光子様より 銘仙着物(昭和初期)
この着物は母が若い頃着ていたものだそうです。お陰様で母は健在ですが、今の母からは想像もできないくらい、かわいい「おもちゃのマーチ」の柄の着物です。
店主からの一言
昭和初期には600万反を生産していた銘仙ですが、残念ながら戦後にはウールに取って替わり、幻の銘仙織物となってしまいました。それにしてもなんとかわいい柄の着物でしょう。大切になさって下さい。
辻菊枝様より 附下げ小袖(昭和22年頃)
私は9人兄妹の長女として生まれました。 お嫁に来るときは家が苦しく着物が買えませんでした。嫁入り道具と言えば家にあった物を両親が持たせてくれました。この附下げは、嫁いだ後、父が「せめて着物の1枚ぐらいは」と無理をして買って持ってきてくれた大切な1枚です。 こうして想い出の着物を皆さんに見て頂いて大変うれしく思います。父も喜んでいる事と思います。
店主からの一言
この当時附下げの模様は前のみのものがほとんどでしたが、この附下げには大変珍しく模様が裾全体に書かれています。お父様がご苦労して立派な附下げをお買い求めになったものと思います。又、大変仕立ても美しく、当時としては珍しく、八ッ掛も上品に共色が付けてあります。
林原美代子様より 琉球絣(昭和50年頃)
この絣の着物は、94歳になる祖母が70歳まで毎日着ていた着物です。私は縁あってこの富山へ嫁ぎましたが、遠くへ嫁ぐ孫の私を心配してこの着物を贈ってくれました。私は沖縄の香りがするこの着物が大好きです。
店主からの一言
現代の琉球絣は絹織物ですが、以前沖縄の方々が着ていた物は麻織物でした。
毎日着ておられたとの事ですが、たいしてすり切れることなく、麻織物の強さを垣間見ることが出来ます。南の温暖地域ではちょま麻や苧麻(麻の一種で苧麻織物を上布と言います)の着物は特にこのように身丈も裄丈も短く着ました。