思い出の「 花暖簾 」美術館その2

娘の幸せを託して、生家の紋を染め抜き、嫁ぐ娘に持たせる『花嫁のれん』。それは、慈しみ育て上げた母の願いであり、優しい心遣いでもある。新しい門出に夢膨らませて『花嫁のれん』をくぐる時、晴れの日にふさわしい女の幸せが待っている…娘を想う母の心を感じて頂ければ幸いです。金沢を中心として小松市より富山県西部地区そして能登にのみ伝わる風習です。結婚式の日、嫁家の仏間の入り口に掛けられ、花嫁はそれをくぐり仏壇にお参りします。

浅井和美様所蔵 高砂(昭和54年)

この暖簾は私がお嫁に来るときに両親が準備してくれたものです。
結婚式の日、嫁家の仏壇にお参りしたのですが、緊張していて、暖簾をくぐったことや、掛けてあったこともよく憶えていません。

r店主からの一言
夫婦共に白髪の生えるまで仲睦まじくと願いを込めて描かれた高砂紋様です。
この紋様通り、今も夫婦仲睦まじく過ごしていらっしゃいます。いつまでもお幸せに…。

大西幸子様所蔵 鴛鴦に菊(昭和5年頃)

いつもたんすの中に眠っていた、義母の花嫁のれんです。

店主からの一言
とっても綺麗な青紫の花嫁のれんです。
花嫁のれんをお持ちではありませんか、とお尋ねしましたところ、普段は使わない70年前のものにもかかわらず、すぐに箪笥から出してきて下さいました。大西様の物を大切にするお気持ちがとってもよく伝わりました。

中田たま様所蔵 松に御所車(昭和16年)

この暖簾は、私の嫁入りに際し染めて貰ったものです。私の実家では三代目にして初めて女の子を嫁に出すと言うことで、たいそうな力の入れようでした。戦時中で物のない時代でしたが、両親は苦労して作ってくれました。

店主からの一言
さりげなく描かれたタンポポの花。先人の感性が伺われる素敵な洗朱色の花嫁のれんです。紫色が多い時代にあっても、このような綺麗な色で染められたのれん。ご両親の力の入れようが伝わってきそうです。

福田瑞恵様所蔵 おしどり鴛鴦(平成13年)金津五雄作

この花嫁のれんは私が嫁ぐ時、両親が誂えてくれたものです。ひな祭りには嫁家のお母さんのもの(隣の作品)と一緒に掛けて、ひな人形に華を添えます。

店主からの一言
この暖簾と同作品が石川県のお買い上げで石川県立美術館に所蔵されています。加賀暖簾を代表する一枚です。これからもひな祭りには、是非掛けて楽しんで下さい。

福田茂子様所蔵 松にまんまく幔幕(昭和17年) 上   くすだまもんよう薬玉文様(昭和17年) 下

松にまんまく幔幕 上
もう一枚と共に母から譲られたものです。母は4月に嫁ぎましたので、桜を多く入れて染めて貰ったのだそうです。昔のことですから、一面識もなく嫁ぎ、不安だったそうですが、嫁家に一歩入ったとたん、綺麗な暖簾と桜の花が目に入り元気が出たそうです。

店主からの一言
幔幕文様の花嫁暖簾は初めて見ました。
心に染みいるとはこのことでしょうか。本当に美しく、感動致しました。戦時下で、これだけの生地を用意し、そして染めて貰うのは、並大抵ではなかったことでしょう。この時代、ほとんどが青や紫が多い中で、とっても美しい花嫁暖簾です。

くすだまもんよう薬玉文様 下
この暖簾はもう一枚同様、母の嫁入りの時のものです。奥の部屋に掛けました。

店主からの一言
花嫁のれんを二枚持って嫁がれたとは…。初めてお聞きしました。驚きでした。
福田様が嫁がれるとき、お母様が新しく暖簾を作ると言われたそうですが、あまりにも綺麗だったので、お母様のものを持って、嫁がれたお気持ちがわかります。薬玉は魔除けのために飾った中国の風習をまねたものです。

北伸子様所蔵 桐にほうおう鳳凰(昭和4年)

私は5人兄弟の真ん中でただ一人の女の子として生まれました。数えの17歳で嫁いだのですが、父親が若い私をかわいくて、まだ嫁に出したくないと思っているのが、よくわかりました。この暖簾も染め屋さんに「一番良いものを染めて下さい」と父がお願いして染めて貰ったことを憶えています。

店主からの一言
数えの17歳と言えば満15もしくは16歳ですね。わが子を思うお父さんのお気持ちがよくわかります。そんな北さんに父として出来る限りの事をしてあげたいと思われたのでしょう。素晴らしい羽二重の生地で染め上げられています。

脇本幸子様所蔵 松竹梅におしどり鴛鴦(昭和45年)

私の結婚に際し重掛けと共に、同じ文様で誂えて貰った暖簾です。実家や嫁家の結婚式、そして私の子供の婚礼にも使いました。

店主からの一言
ご自分の結婚式のみならず、皆さんの結婚式に華を添えられ、さぞかし暖簾も喜んでいることでしょう。これからも大切にされ、皆さんに喜んで頂けたら良いですね。