思い出の「 花暖簾 」美術館その1

娘の幸せを託して、生家の紋を染め抜き、嫁ぐ娘に持たせる『花嫁のれん』。それは、慈しみ育て上げた母の願いであり、優しい心遣いでもある。 新しい門出に夢膨らませて『花嫁のれん』をくぐる時、晴れの日にふさわしい女の幸せが待っている…娘を想う母の心を感じて頂ければ幸いです。金沢を中心として小松市より富山県西部地区そして能登にのみ伝わる風習です。結婚式の日、嫁家の仏間の入り口に掛けられ、花嫁はそれをくぐり仏壇にお参りします。

伊藤信子様所蔵 牡丹に孔雀(昭和10年) 右   灯籠に牡丹と梅(昭和10年) 左

牡丹に孔雀(右)
この暖簾は私の義母が嫁ぐ時に持ってきたものです。
義母が亡くなった後、タンスを整理していて出てきました。
義理の母はとっても温厚な人で、嫁の私達にもとっても優しく接してくれました。想い出として大切にとっておきたいと思います。

店主からの一言
暖簾に眼が釘付けされる一枚です。地色のすおういろ蘇芳色と言い、孔雀といいなんと美しいのでしょう。

 

灯籠に牡丹と梅(左)
この暖簾も右のものと同様、義母のものです。
私がお嫁に来るとき、お義母様が「暖簾は私のを使ってね」と言われ、借りて掛けました。

店主からの一言
この羽二重地の暖簾は奥の部屋に掛けたものでしょうか。縮緬地のものと同様心に染みいる一枚です。

加藤和子様所蔵 松竹梅におしどり鴛鴦(昭和46年)

この暖簾は私がお嫁に来る時に持ってきたものです。数年前、縁あって長女にお婿さんを迎えることが出来ました。本来でしたら『花婿のれん』のみを掛けるのでしょうが、娘のたっての希望でこの暖簾も奥に掛けました。

店主からの一言
お嬢様の希望で『花婿のれん』と『花嫁のれん』を掛けられたそうですね。
お母様も嬉しかったことでしょう。これからも、大切になさって下さい。

高島さち子様所蔵 曙(昭和48年)

この花嫁のれんは私が嫁ぐとき、誂えて貰ったものですが、結婚式一回だけの使用では勿体ないと、婚礼以外でも掛けられる文様を描いて貰いました。題名は「曙」だそうです。自分のものだから自分で仕立てたのですが、仕立て方がわからず、本を見て仕立てました。後でわかったのですが、仕立て方が間違っていました。

店主からの一言
何とも言えない綺麗な青緑色の暖簾です。伸びやかな鶴たちが幸せを運んできてくれそうです。間違ったとはいえ、ご自分でお仕立てされたとはスゴイ!

山本智津子様所蔵 からこ唐子人形に花車紋(昭和32年)

高校卒業の二月、母に勧められセーラー服を着てお見合いをしました。その後三月九日に卒業後、慌ただしく三月十七日に結婚。その僅かの間に母はこの花嫁のれんをはじめ嫁入り道具を揃えてくれました。

店主からの一言
眼に飛び込んでくるようなとっても印象的な花嫁のれんです。僅か一ヶ月の間にたくさんの道具をご準備されて、お母様も、さぞ大変だったことでしょう。

松田のぶ様所蔵 松竹梅におしどり鴛鴦(昭和8年)

「二度と家の敷居をまたぐな。」と親に言われ、お嫁に来て、早70年余り。嫁いだときには、実家が恋しくて、恋しくて、里帰りが楽しみだったものです。

店主からの一言
今では車も一人一台の時代。いつでも、実家のお母さんの顔を見られる時代になりました。
今の時代に生きられる私達は感謝しなくてはいけませんね。

上野睦子様所蔵 桐にほうおう鳳凰(大正8年)

この暖簾は私の義母が数え年14歳で嫁に来た時に持ってきたものです。その後家族の婚礼の度に使い、婚礼に華を添えてくれたものです。私の娘を嫁がすとき、義母は「これを使って」と譲り渡してくれました。

店主からの一言
とっても綺麗な帝王紫の暖簾です。85年前のものとは思えないくらい保存状態が良く、見入ってしまう作品です。

西田幸子様所蔵 わらべ童子(昭和45年)由水十久作

実家の両親が加賀友禅作家 故初代 由水十久先生と懇意にしていたこともあって、特別にお願いして描いて頂いた暖簾です。先生も10年ほど前に他界され、私にとってはとても大切なものです。

店主からの一言
生涯で数枚しか『のれん』を描かれなかった由水十久先生。中でもこのように童子の紋様はこの一枚だけと聞いております。図案の構成から染め上げ迄一年の長い月日をかけて染め上げられた暖簾。また童子の着物の片喰と蔦は実家と嫁家の紋だそうです。大切な想い出の作品をお借りし、皆様方にお見せできて本当に幸せです。

斉藤明栄様所蔵 松竹梅におしどり鴛鴦(昭和51年)

この暖簾は私が嫁入りの時に両親が準備してくれたものです。
結婚式の時は無我夢中で何もわからなかった事が懐かしい想い出です。

店主からの一言
この年代にはあまり見かけない、とっても綺麗な江戸紫色で、濡れ描きと言う技法で染めてあります。ご実家のご両親のこだわりが感じられる一品です。いつまでも大切にして頂きたいと思います。

石出みづ子様所蔵 山水(昭和23年)

私が嫁に出た時代は戦後の物不足の時で、エプロン一枚買うにも切符で交換しなくてはいけない時代でした。この暖簾も母が苦労してどこからか米と交換して用意してくれた物です。

店主からの一言
本当に素晴らしいお母さんですね。我が子のために、大切なお米と交換して準備して下さるなんて… これからも、お母さんの想い出と共に大切になさって下さい。